
「学ぶ時間」を持てること、それが大人の贅沢
高価なものを買うことが贅沢だと思っていた時期がある。けれど、年齢を重ねた今、そうではないと感じるようになった。学びに向ける時間があり、そこに心を傾けられる健やかさがあること。それこそが、最も贅沢なことではないだろうか。
私にとっての大人の贅沢とは、静かな場所で思考を整理し、少し先の自分を磨くこと。カフェや図書館も、そんな“第三の居場所=サードプレイス”として機能している。雑音が少なく、余白のある空間。そこでは、時間も音もゆっくりと流れ、思考が深呼吸を始める。
サードプレイスがもたらす「思考の余白」
家でも職場でも集いの場でもない場所。そこで過ごす数時間が、心を軽くしてくれる。
図書館では智の海に潜り、カフェでは匿名性に守られながら自分と対話する。
この黙々とページをめくり、書いて学ぶ時間は、他の贅沢よりも静かに満たしてくれる。
モノを減らすほど、思考は深くなる
学びを外に持ち出すとき、私の持ち物は驚くほど少ない。ノートとペン、書籍1冊、PCと充電ケーブル、そしてA4サイズのバッグインバッグ。必要最小限で構成されたそれらは、思考を途切れさせないための“仕組み”でもある。
持ち物を整えることは、思考を整えることに似ている。
「どれを持つか」を決める瞬間に、自分にとって本当に必要なものが見えてくる。
「貧しいからこそ、その貧しさをモノで埋めるんだ。だが俺は豊かすぎるゆえに、モノを持たない。」
─ ROLAND『君か、君以外か。君へ贈るローランドの言葉』(KADOKAWA)
ローランドのこの言葉を読んだとき、深く共感した。モノを減らすことは、我慢ではなく自由の選択なのだ。彼が語る「ラグジュアリー系ミニマリスト」という在り方は、“最小限で最高級”を目指す姿勢。学びの空間もまた、同じだと思う。余白の中にこそ、思考の贅沢が宿る。
A4バッグインバッグで「思考を持ち運ぶ」
無印良品のA4サイズのバッグインバッグは、私にとって“可動式の書斎”のような存在だ。ペンやノートの定位置が決まっているだけで、出先での集中力が格段に上がる。
バッグの中が整っていると、心も整う。思考がすぐに起動し、必要な道具を探すストレスが消える。これは、小さなようで大きな違いだ。
贅沢とは「時間と心の余白」に宿る
ローランドが言うように、「空間という家具」は最高の贅沢だ。家具の数ではなく、空間そのものを楽しむ。その発想を学びに置き換えると、「知識の量よりも、思考の余白」が本質的な豊かさになる。
大人になってからの学び直しは、効率でも競争でもない。どれだけ丁寧に、自分を再構築できるか。それを支えるのは、整った空間と軽やかな持ち物、そして一杯のカフェラテだ。
心に残ったアイテム
「最小限で最高級」に生きる
モノを減らすことで、時間が増えた。時間が増えたことで、学びが深くなった。学びが深くなったことで、心が満ちていく。
結局、豊かさとは「余白の総量」とそこから得た体験なのかもしれない。
今日もまた、静かな場所で、ページを開く。
そこにあるのは、贅沢という名の、静かな幸福。
※本記事の一部引用は『君か、君以外か。君へ贈るローランドの言葉』(ROLAND/KADOKAWA)より抜粋しています。
※この記事内の画像は参考イメージであり、実際の商品・人物・ブランドとは関係ありません。



Comment